今日はちょっと一息ついて水耕栽培の話はやめて、新元号「令和」
について語ろうと思います。
番外編だと思ってください。

2019年(平成31年、令和元年)に、皇室典範特例法の規定に基づき、日本では202年ぶりとなる今上天皇の譲位と皇太子徳仁親王の即位が予定されています。

この皇位の継承を受けて、元号法の規定に基づき、5月1日に元号が「平成」から「令和」
に改められます。

日本の憲政史上初めて、天皇の生前退位による皇位の継承に伴って改元が行われます。

「令和」の典拠は「万葉集」の巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文
(梅花の歌三十二首併せて序)であります。

確認される限りにおいて初めて漢籍ではなく日本の古典(国書)から選定されました。

2019年は、4月30日までが平成31年、5月1日から令和元年になる予定で、2つの元号にほこる年となります。

今上天皇が譲位の意を示したのは2010年(平成22年)7月22日だと言われ、2016年(平成28年)
8月8日に宮内庁はその前日に撮影した、当時82歳になる今上天皇からのビデオメッセージを公表、それによると「自らの高齢化により今までのように公務が果たせなくなることを懸念」し、「公務が途切れることのなきよう安定的に続くことを望む」の趣旨で正式に発言し、
その前に(当時の)皇太子に皇位を譲りたい趣旨の意向を示しました。

これまでの改元時とは異なり、OA化・インターネット化が進んでおり、新元号への対応準備の期間を
確保する必要があることから、憲政史上初めて新元号が改元1か月前となる2019年(平成31年)4月1日に公表されました。

「令和」のローマ字表記は「Reiwa」。

政府高官によると明示、大正、昭和、平成と同じ頭文字となる「M,T,S,H」の各案は当初から除外したといいます。

新元号決定に関する公文書は、公文書管理法により「30年間の非公開期間」が設定され、元号発表時に掲げられた「墨書」も同様に公文書として保管されます。

後の報道によると、懇談会で示された案は「令和」を含め6つであったとされ、他の元号案は「英弘(えいこう)」、「久化(きゅうか)」、「広至(こうし)」、「万和(ばんな)」、「万保(ばんぽう)」で、国書と漢籍を出典とするものが3つずつあったとされています。

なお、「令和」の考案者は日本文学者の中西進であると報じられているが、中西本人は明確な回答を控えています。

その後、10時20分頃から衆議院議長公邸にて、衆議院正副議長(大島理森・赤松広隆)と参議院の正副議長
(伊達忠一・郡司彰)から意見を聴取。総理大臣官邸にて11時頃から11時15分にかけて全閣僚会議が行われ、臨時閣議を経て、新元号の閣議決定となりました。

閣議決定後に山本信一郎宮内庁長官が皇居御所へ、西村泰彦宮内庁次長が東宮御所へ赴いて今上天皇と皇太子にそれぞれ新元号決定に関する報告を行いました。
11時41分、予定より11分程度遅れて菅義偉内閣官房長官が記者会見で新元号を発表しました。

「令和」の典拠は「万葉集」巻五の「梅花の歌三十二首、併せて序」にある一文であります。
この序文は天平2年1月13日、太宰師である大伴旅人の、大宰府政庁近傍にある邸宅で催された宴の様子を示していて、「梅花の宴」とも呼ばれています。
大伴旅人の邸宅は政庁の北西、現在の坂本八幡宮(現・福岡県太宰府市)付近と考えられています。

元号に「令」の漢字が使われるのは初であります。
また、ラ行で始まる日本の元号はれき暦応以来およそ680年ぶりであり、「レイ」の音が先頭に来る元号は奈良時代初めの霊亀(レイキ)以来2例目で1300年ぶりとなります。

・・・と新元号「令和」の由来や根拠はこんな感じになります。
おそらく皆さんもテレビやインターネットなどで見ていたと思いますので
記憶に新しいと思います。

元号が変わったからと言って特に目新しいことは具体的にはないのですが、
名前はそのものの「存在」を示します。
元号が変わると何故か目新しい気持ちになることはそのせいではないでしょうか。

オフィスファームでも気持ち新たに再出発していくつもりなので
皆さん、どうか暖かいご声援よろしくお願いいたします。

それでは今回はこれで失礼いたします。

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